遠慮は日本人の美徳です。
もともとは、深謀遠慮という言葉もあるように遠い将来まで見通すことや、他人の心のうちまで深く考えて自分の行動を決めるということだと思います。言ってしまえば、とてもとても深い思いやりです。思いやりの結果として相手に対して言動を控えめにして、出しゃばらないようにします。遠慮をすることで事態がうまくいくようにしたり、相手の気持ちを尊重することができます。自分の言動を状況に適してコントロールすることで、集団の成功を目指すという美しい調和であり心配りです。ここでいう集団というのは、あなたが所属するチーム、グループ、部門、会社などです。
ただ、現在の遠慮という言葉には、言動を控えめにして出しゃばらないという結果だけが残っていて、集団の成功のために深く考えるということが忘れられているのかもしれません。集団の成功のためではない遠慮は、単なる保身です。みんなが集団の成功のためではない遠慮をしはじめると、集団は失敗します。ちなみに、遠慮を他人にも強制する空気感を同調圧力と言います。
遠慮には言動を控えめすることで、他人との摩擦をなくして、円滑な社会生活を送るという効果があります。本来の集団の成功のためという目的というよりも、自分が傷つかないことを目的にしたものです。これはこれで悪いことではないです。無駄に傷つく必要はありません。普段は控えめにして和やかに日々を暮らしたいものです。また、日頃のコミュニケーションを控えめにしていると相手の話を聞く姿勢にも繋がります。まず、相手の考えを理解して、状況を把握するのは本来の遠慮の目的である集団の成功にも繋がります。守りの遠慮です。
反面、集団の成功のためには、意見を言ったり行動が必要なこともあります。本来の遠慮である将来を見通して、他人の心まで深く考えて集団の成功のために自分の行動を決めるということです。これが攻めの遠慮です。仕事をしていて、このまま進めていてもうまく行かないだろうと感じるときや、打ち合わせをしていて方向性が違うと感じるとき、勇気を出して意見を言います。出しゃばりたい訳ではなく、集団の成功のために状況を理解して行動をします。
守りと攻めの遠慮を適切に使い分けられる人との仕事は本当に楽しいです。適度に押したり引いたり、相手の良さを引き出しながら自分の主張も加えて仕事がうまく広がって膨らんでいくのを感じられます。
守りと攻めを使い分けるにはどうしたらいいでしょう。実は守りも攻めも同じ根っこから生まれ出ていることがポイントです。どちらも同じように未来への見通しや人の心を深く考えて集団の成功のために何が出来るかを考えることです。この本来の遠慮のために控えめにしたり、逆に意見をいったり行動を起こすとすれば、守りと攻めを柔軟に切り替えることができるようになります。目的を集団の成功のためとすることで状況に応じて必要な対応をすることで、守りと攻めを自然と選べます。これが保身のために控えめにしたり、自己顕示のために主張や行動していると目的が真逆なので柔軟に切り替えることができません。どちらか一本槍となってしまいます。
遠慮の攻めと守りはどちらかが良いのではなく、どちらも使えるようになるべきす。日頃から守りのための遠慮(多くは保身かも)をしている人は多いと思いますので、そういう人は攻めを練習する必要があります。守りはクセになるので、守りに慣れた人は攻めに転ずるためには意識的な練習が必要です。普段の仕事や打ち合わせなどで守りと攻めを意識して、敢えて攻めをチャレンジしてみるのがいいでしょう。日常から何が集団の成功のために必要かを考えて、気になることがあれば上司に相談してみたり、打ち合わせで意見を言ってみましょう。ただ、意見をいっても相手から期待するリアクションがない可能性がありますが、気にしないでください。あまりに守りの遠慮が浸透しすぎていて、誰かに意見を言われると想定していない人もいます。相手が受け入れてくれるかが問題ではなく、あなたが自分の意見を言って行動するのが大事です。
コメント
コメント一覧 (2件)
攻めと守りが対義語でありながら、この記事を読み如何に大義名分が必要で大切な事である事を改めて知ってもらえると嬉しいなと思いました。
私も仕事や夢中になっている事があると、どちらも上手くコントロールすることを忘れてしまう私ですが、根本が同じであれば時と場合によって、仲間が攻める時もあれば守る時もあり、何度も救っていただいたことを思い出しました。
個で攻めも守りもすることはとても辛いこともあったり、同調を感じた時は個と個での対話に切り替えたりという工夫ができるようになりました。
そうやって、少しづつ押したり引いたりして、集団作用なのか個なのか、会社の状況など
理解し合って相乗効果が生まれるチームとしても強くなれる内容に感じました。
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