何かを解決したいと思えば、率直なコミュニケーションが必要です。率直とは「ありのままで隠すところがないこと」です。コミュニケーションとは相互に伝えることなので、率直なコミュニケーションとは、相互にありのままで隠すことなく伝え合うことです。対人関係においてノーガード戦法を取るようなことなので、自分を守れなかったり、危険な戦法のように思えます。ただ、「解決」をしたいならこの方法しかなさそうです。簡単にいえば腹を割るということです。
何かを解決する状況というのは、関係者の利害や思想が一致しないということだと思います。仮に、利害や思想が一致しているなら、合理的に考えれば答えは自ずと分かる筈です。関係者の利害や思想を一致させるときにお互いに疑心暗鬼になるよりも、お互いに協力した方が全体の利益は大きくなります。所謂、囚人のジレンマです。ただ、上手くいくのは、相手が自分と同じように率直に協力してくれる場合だけであり、相手が率直ではないと裏切られます。
なので、賢い人同士であれば率直なコミュニケーションが可能になります。賢い人は解決するためには腹を割る必要があることを知っています。お互いに何が欲しくてどこなら譲れるかを率直に出し合った方が話しが早いからです。
疑心暗鬼になる場合では、お互いに何が欲しくてどこなら譲れるかを明確にしないので、お互いに相手の探り合いをすることに時間を浪費することになります。更に、お互いに情報を開示しないので、断片的な情報だけで憶測が憶測を呼ぶことになります。そして、より疑心暗鬼が深まり、お互いの溝も広がることになります。こうなると解決は不可能です。何を言っても嘘を言っているように捉えられてしまいます。これでは、自己防衛をするために他者との関係を悪化させて、結局何も得ておらず、無駄に時間を浪費しているだけです。
自己肯定感が低い人は、自分をそのまま受け入れられないので疑心暗鬼に陥りやすいかもしれません。
つまり、何かを解決するためにコミュニケーションをするのであれば、率直なコミュニケーションをするということがお互いの前提になっているべきなのです。率直なコミュニケーションは正直であれというモラルのためではなく、社会全体の効率のためです。率直なコミュニケーションは社会全体の利益になることなので、学校教育などできちんと教えるべきではないかと思います。しかし、国の中枢である議会や裁判などをみても率直とは真逆のコミュニケーションが蔓延しています。議会や裁判もAIの方がましというのも一理あります。言わば、率直なコミュニケーションとは相互の信頼なのですが、人間の場合は疑いが疑いを生み出すことで不信が広がります。悪貨が良貨を駆逐するということです。
不信の広がりを防ぐためには、率直なコミュニケーションをする人が得をして、率直なコミュニケーションをしない人が損をするということを理解する必要があります。それは、率直なコミュニケーションが出来なければ、イノベーションや問題解決を行えないということです。もちろん、社会全体ではイノベーションや問題解決に携わる仕事というのは一部かもしれませんが、その必要性は増しており、その影響力は社会全体を変えるパワーがあります。これからの時代、率直なコミュニケーションが出来る人だけが生き残ることになると思います。
率直なコミュニケーションを行う上で注意すべきポイントがあります。
- 善悪などの先入観を取り払う
- 事実ベースで話しをする
- 相手が理解できるとは限らない
まず、率直なコミュニケーションを行うには、自分の意見も、相手の意見もどちらが良い悪いという先入観を取り払うことです。善悪というと何らかの倫理観に基づいた考えであり、今の日本のようなコンセンサスが取れた倫理観が無いなかで、善悪を持ち出すと分かり合うのは困難になります。倫理観は何が良くて何が悪いかという答えを用意しているもので、思考停止を引き起こします。善悪は置いておいて、問題を解決するために最適な方法が何かという視点だけで話し合うべきです。相手が善悪を持ち出すときには、明確にこのことを最初に伝えたほうがいいかと思います。
次に、事実ベースで話しをします。具体的なデータを基に話しができればベストですが、そうも行かないことも多いと思うので、出来るだけ確からしい事実に基づいて話しをすべきです。大事なことはお互いに共有できること。事実であればお互いに共有することができます。率直なコミュニケーションを行うにあたって、話し合いの土台となる共通認識を事実ベースで作ることがスタート地点になります。率直なコミュニケーションはノーガード戦法をするとしても、事実ベースで話しをするのであればリスクもありません。
最後に、率直なコミュニケーションをしたからといって、相手が理解できるとは限りません。それは仕方がないことです。話せばわかるという時代も遠い昔になりました。理解できるためには、相手が話を正しく解釈できて、その上で相手も話が腑に落ちる必要があります。多くの場合、人間は自分が望むことを信じるもので、相手の話を字句通りに理解するということも実際には難しいようです。また、話を理屈として理解できたとしても、その理屈に関連する経験がなければ腑に落ちるというところまで行きません。また、相手の意見が正しいと思っても、変なプライドが邪魔して納得できないこともあります。そのため、率直なコミュニケーションを行ったとしても、必ずしも相手が納得いくわけではなく、それは仕方がないことだということは、心に留めておくべきです。話をするだけで全てが解決したら、世話ない訳です。
このように先入観を持たず、事実ベースで率直に話し合いましょうという至極当たり前なことを述べてきましたが、重要なことは相手が率直であるかではなく、自分が率直になることで問題が解決できる可能性を高めることです。もちろん、どう話をしても無理な相手というものもいるので、そういったときは空虚なコミュニケーションでスルーすればいいと思います。
コメント
コメント一覧 (3件)
コミュニケーションとイノベーションには人が自分の存在する道理が混ざっているように考えさせられ、かつスリルを感じました。
文中にあった利害には、生き方や生きる力の価値が様々あることを忘れてはいけないし、分かっていたからと言って合わせてしまっては、譲り合いのお見合いになってしまう事もあるんだろうなと想像を膨らませつつ、解釈を読み進めてました。
よく陥りがちなのが、自分と相手の焦点で議論を進めてしまうと、一方が疑心暗鬼なったり、もしくは腹の探り合いになるのが大体の落ちですよね。きっと仕事だけではなく友達やパートナー、親子関係でもあるかと思います。
善悪や先入観の話が、あたかも事実の様に歩き出す経験の怖さも何度も経験しました。
そんな経験から「焦点の中心を何にするのか?」という大義を考えるクセを意識する様になりました。
焦点がお互いの利害関係ではない視点で対話が進んでいると、とても楽しい気分になります。
その時の私の気分は「もっともっと話をしたい、相手の考えを聞きたい」という感情です。その動く心を今では大切にし、その心が動いているか?動いていないか?を自分の心に聞いては、立ち戻って考える様に少しづつできるようになってきました。
焦点とは日頃の生活に必ず存在しています。
例えば、会議を始めようとした時のテーブルに日頃は置いていないバナナの房がありました。そんな時、皆さんは何て発言するのでしょうか??
「なんで、バナナあるの??」
「バナナは苦手なんですよね」
「お腹空いたから食べたい」
「バナナは掛けた方が長持ちするよね」
そうすると焦点がバナナという思考のテーブルになります。
あなたと私の考えに視点がいくのではなく、バナナが主人公となり
様々な視点や発言により、相手の気持ちや考えになぜ?が生まれます。
次に、そのなぜ?という疑問からの解釈です。相手が話した内容や発言から
相手のイメージをを捉える選択肢を想像して考えてみる。
その選択肢には、善悪や疑いで思考を巡らせるのではなくて、自分のイメージしていなかった事を捉える力を養い、イノベーションをつかむきっかけが溢れるといいですね。
ぜひ新しい色眼鏡に出会ってみてください!
世の中では率直である人の方が少数派なので、
率直であることでかえって疑われたりすることもあります。
逆に、胡散臭いものの方が信用されたりします。
おかしなことなのですが、そういうことなのかと思います。
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