人間の悩みの殆どが他人との関わり方に関するものです。他人との関わり方に悩むと、他人を拒絶したくなるか、逆に他人を過度に受け入れようと努力する人もいます。真逆の反応ですが、どちらも同じように自分を守るためのものです。拒絶するのは他人との間に壁を作るということで自分を守ります。一方、過度に受け入れるのは、他人の全てを受け入れようとすることで、自分というものを他人から見えなくして、傷つきようがない状態にするものです。どちらも、他人から自分を見えなくして、自分を守るということです。
まず、自分を守るのはとても大切なので、辛いのであれば自分を守ってください。緊急避難としての自己防衛は必要です。その上で、自分を守るのであれば、他人との間に壁を作る方が、他人を全て受け入れるよりもましかもしれません。他人を全て受け入れることは、自分をなくして、自分を偽ることになるので、とても危険です。自分で作った壁を取り払うことは出来るかもしれませんが、自分でも自分がわからなくなると改めて自分を表現することは出来ないかもしれません。どちらも長く続けていく生き方としては、結局辛いものがあります。
他人との関係を正常に築くには、自己を愛すること、自己愛が必要です。自己愛というとエゴイストのように思えて、自分勝手な自分しか大事にできない何やら悪いことのように思うかもしれません。自分しか大事にできない人は利己主義と呼ぶべきです。利己主義は、それこそ悪い意味でのエゴイストです。自己愛を持つことと利己主義は違います。自分を愛することが出来なければ他人を受け入れて愛することもできません。自己愛を持ちながら、他人も自分のように愛せることが理想です。聖書にも「隣人を自分のように愛しなさい」とあります。この言葉は、自分を愛することを否定していないことがポイントです。
エゴとは、自我という意味です。自我とは、自らの思考や意思です。哲学の目的は自我の探求であり、デルポイの神託には「汝自身を知れ」と書いてあったといいます。自分とは何者か、他者とは何が違うかという自分と向き合う作業はとても重要です。自分を受け入れることが自己愛です。自己愛は自分をよく知らなければ正しく生まれません。盲目的な自己愛はうぬぼれ(ナルシシズム)です。自己愛を持つこととナルシシズムは違います。自分を知るためには、自分の心の奥底にある声(エゴ)に耳を傾けなければなりません。何が好きなのか、何をしたいのか。自身を知るということは、抽象的な意味での人生の目的かもしれません。
自分を愛せない人が、他人を受け入れられるのでしょうか?
先に述べた他人を全てを受け入れるというのは崇高な精神のようですが、それは自分を愛していることが前提です。自己愛がない状態で他人を全て受け入れるのは、精神的な奴隷のようなものです。
エゴを見つめることや自己愛は、自己肯定感を作り出す基盤となります。
自己肯定感は高ければ良いことだと言えるのか。低いことが必ずしも悪いのか
このように、自身の自我=エゴを知ることは大事なことです。利己主義にならないように、他人も自分と同じように愛する必要があります。うぬぼれ=ナルシシズムにならないように、自身をきちんと分析して理解すべきです。これが自己肯定感を高めて、他人を適切に受け入れられるようになります。他人との関係性を正常化するための大きな第一歩です。ただ、この一歩を踏み出したからといって、いきなり関係性が正常になるわけではなく、相手が利己主義やナルシシズムの場合は課題が残るものと思います。また、関係性が正常になるといっても人間関係の課題が何もなくなる訳ではなく、人間関係の課題に正しく向き合えるようになるだけです。悩みがなくなればいいのですが、そうもいきません。
エゴが大事というのは、個人だけでなく企業にとっても大事です。企業のマーケティングというものが、企業と顧客のコミュニケーションだとすれば、企業の個性を顧客にわかってもらう必要があります。ブランドとは顧客が企業を認識する個性だとすれば、ブランドには企業としての(もちろん良い意味での)エゴが現れている必要があります。これをブランドエゴと呼びたいと思います。ブランドエゴは企業としてのストーリーであり、妥協せず強いこだわりをもって顧客にどのような価値を提供しようとしているのかを自覚するものです。ブランドエゴも企業自身のことだけを考えていれば利己主義になり、顧客のことも競合他社のことも知らななければナルシシズムに陥ります。
最近、デジタルマーケティングの広がりもあり、顧客の声を聞くことが簡単になりました。カスタマーレビューやABテストなどで顧客の声を聞きすぎると、大多数の顧客の声を商品企画に反映しすぎて、どれも似かよってつまらない商品が多くなります。競合他社と比べて似た商品ばかりになれば、結果としてブランド力が低下します。ブランドを際立たせるためには競合他社とは違うエゴが必要で、ストーリーという形で顧客に共感してもらうのです。ブランドの顔が顧客から見えるようになります。ブランドエゴに照らして顧客が赤色の商品を望んでいるとしても、真っ赤ではなく緋色や紅色を提供するべきなのです。
エゴというものはネガティブなものでなく、その人の魅力だと思います。せっかくなら隠さず向き合ってアピールしてみたら、世の中も個性が咲き乱れて華やかになるのではないでしょうか。
コメント
コメント一覧 (1件)
社会と会社、あなたと私、ブランドとマーケティングに繋がるとても深く
難しい内容でありながらじっくりと考えて読むことができました。 私は愛するものを見つけることができたら、 時間が欲しいと思うことがよくあります。
受け入れて愛する準備時間も必要なんです。
他人を受け入れるためには 相手の困っていることや好きな事に気づきながら、
コミュニケーションをはかり、学ぶ時間が努力の時間なのかもしれません。 そうしていると、知らなかった自分に出会うこともあります。
自我の探究という言葉があったように、 それを繰り返していくことで、愛したいと想う出会いにも敏感になっていけます。
言えば、好奇心の反応が幅を広げてくれます。
なぜ、心が惹かれたのか?惹かれた私はこれを扱っていいのか?など
自問自答することがあります。 私ではなく、もっと大切にしてくれる人がいるのではないか? もしくは、誰よりも大切にしたいから、考えることもあります。
そんな事を沢山教えてくれるのが愛の良いとこだなと。
また、自分を愛する事からなのか?他人を愛することからなのか??
発端はどちらからなのか、はっきりとした答えが出てこないですが、
愛するものや人や事がある時は、自分を愛する努力ができると思っています。
友達が困っていたら、同じように自分も協力できるように
力をつけて助けてあげたい。と思います。これはエゴかもしれません。 友達は助けて欲しいと思っていないかもしれません。 それなら、相手に思いを伝えて聞いてみることから初めてみればいい。
きっと、相手の気持ちを知るために、 聞き方にも工夫して知りたいと想うはずでしょう。
全てを受け入れれなくてもいいので、何から受け入れれるのか?
何が自分はできるのか?を少しづつ考えてみることで
自分の新しい愛も芽生えるように思えました。
愛を孤独と捉えることもありますが、孤独な時は自分よがりなのかもね。
ブランドもマーケティングも周りを知らないままより、
好きな領域だからこそ、もっと極めたい、もっと知りたいが沢山見つかると、
周りからは好き以上の愛に変わる。それは世の中も個性が咲き乱れて華やかになる事への一歩ではないでしょうか。