仕事をし始めて数ヶ月の関係の方が先日、「Slackで腹を割って言いますと…」とメッセージが来て驚いた。Slackというテキストコミュニケーションで腹を割ることができるのだろうか。かなり親しい人からであれば、まだわかる。いや、でも、親しい人からであれば、いつも腹を割っているので、わざわざ腹を割ると予防線を引く必要はない。
予防線の場合よく耳にするのが、「個人の意見ですが…」と仕事の打ち合わせでいう人もいる。仕事というビジネスの場で個人の感想というものがあり得るのだろうか。もしかしたら、上司と相談できていないという意味なのかもしれない。ただ、眼の前のあなたに聞いているので、あなたの意見を言ってもらえればいい。上司とコンセンサスが取れている話しが聞きたければ、上司に聞くまでである。個人の意見ですがという言葉は、これから言う発言に対する責任を軽減する逃げなのではないだろうか。つまり、予防線である。
また、他の予防線としては、自分の言葉で語らず、〇〇さんが言っていましたといった、他人の口を借りて言うようなケースもある。これはたちの悪い、重症である。腹なんて割れるはずがない。そういう人は、仕事においても自分ごとになっていないので、結果が出ていないことが多い。
腹を割って言いますとも、個人の意見の言い方もですがも、これから言う発言に対する責任を軽減するための予防線であり、簡単に言えば自信がないということになる。冒頭の話しにある、腹を割るような話しをSlackというテキストコミュニケーションで送るということも自信の無さなのかもしれない。自信もなく、責任を軽減したいようなコミュニケーション手段で、腹割ったと言えるのか、その言葉が相手に届くのかというのは、大いに疑問である。
そもそも、腹を割るということは「何事も隠さず、すべてをさらけ出すこと。 本心を打ち明ける」ことである。つまり、腹を割った話しとは、すべてをさらけ出して、本心であることだけが重要なのである。その本心が、客観的に正しいかどうか、道徳的に正しいかどうかは関係ない。紛れもない本心であるかどうかだけが最低限の必須条件である。
腹を割るときに、すべてをさらけ出していて、本心を打ち明けているということを相手に伝わることが重要である。その方法として、関係性が深くない人間関係において、テキストコミュニケーションは相応しくないのは言うまでもない。きちんと、対面で会ったうえで、直接自分の言葉で伝えるべきである。それが流暢ではなく、たどたどしくても、相手に心は伝わるものである。
ストレートも投げれないのに、カーブを投げるな。思いっきりストレートを投げろ!
それが、腹を割るということです。
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