最近、なんか会社がおかしいなと思うことありませんか?
1年前と比べて、会社の雰囲気がおかしいし、そういえば退職する人も増えてきているような気がする。マネージャや経営陣は会議室で何か深刻そうに話し合っている。たまに大声で議論したり。そういう雰囲気を感じると何か心もそわそわして、不安という病魔がウィルスのように広がり、組織のみんなが仕事に集中できなくなるものです。
何か明確な原因が分かるのであれば、対策は打ちやすいものです。例えば、商品に不良品が多くなってきたとか、広告を打っているにも関わらず訪問者が減ってきているとかであれば、仕事の進め方やデータを分析することで原因を特定できるはずです。原因さえわかれば対策できる。対策を打てれば人間の心は前を向けます。原因が特定できて対策が打てるときには、短期間に社内がざわつくことはあっても直ぐに落ち着くものです。
恐怖の犯人探し
いつまでも会社の雰囲気がおかしいときは、もっと根深い問題がウィルスのように広がっている可能性があります。よくある症状としては「犯人探し」です。誰が悪い、あのチームが悪いと犯人探しがはじまります。会社で発生する殆どの問題は、会社の組織構造や業務の仕方など仕組みに原因があるものですが、矛先が特定の人やチームに向けられるというのは不健全な方向に会社のリソース(時間)が向けられているということです。さらに問題なのは、リソースが無駄に使われるだけでなく、本当の原因の分析が行われずにおざなりになることです。
誰かを犯人にして何かが解決するならまだしも、誰かを犯人にしても本質がそこではないとすれば、誰かを責めたり、誰かを違う人間に置き換えたところで、結局問題は解決しません。会社の問題は組織構造や業務の仕方に問題があることが殆どだからです。仮にミスが多い人がいるとすれば、ミスが起きる原因を分析すべきです。時間に余裕がないのか、仕事をするための入力が足りないのか、仕事の仕方が確立していないのかもしれません。
人間性やスキルの違いを「扱いづらい人」で片付けずに考えてみること
自由なカルチャーだから起こり得る
犯人探しは、意外と自由なカルチャーを重視する会社で起こりがちであることは見逃されています。社員に現場での権限を与えて現場の自主性を重んじるようなカルチャーでは、現場で発生することは良いことも悪いことも担当の問題だと考えがちです。そうすると、現場で問題が発生すると担当が悪い、担当が犯人だと短絡的に考えて問題を片付けられてしまいがちです。
スキルがないというのは、あまりに自己研鑽しないのであれば本人の問題かもしれませんが、スキルがどの程度なのかを知って会社が任命しているので、スキルの問題は個人の問題だけでなく、会社の問題です。スキルがないからといって個人を責めることでは何も解決しません。
自由なカルチャーといいつつ、実態は単なる無茶振りということはよくあります。スタートアップでは会社が生まれたばかりで仕組みがないので、否が応でも現場任せの自由な仕事の仕方になります。創業メンバーはタフでサバイバル力もあるので苦難があっても突破することができます。そうすると、仕組みがないことが成功体験として肯定され自由なカルチャーとして定着していきます。自由で仕組みがないからタフさだけで突破せざるを得なかったものが、自由だから突破できると履き違えが生まれるのです。しかし、ある程度会社が大きくなると、何かするにも社内で関わる人間が多くなり、会社が大きくなってから入社した中途社員は創業メンバーほどタフではありません。現場は自由という不自由のなかで、無理に頑張るしかなくなります。心ある人は、自由なカルチャーでは限界があることに気がついて、仕組みを作ろうとするかもしれませんが、創業メンバーからは異端と思われて、最悪排除されることもあるかもしれません。
自由と言う名の、支配
自由なカルチャーの会社で異端と思われるだけで排除されるということは、「自由」と矛盾したことだと思うかも知れませんが、自由ということ自体がイデオロギーであり、仕組みを作ることは自由への反逆とみなされるのです。さらに穿った見方をすれば、自由のためといいつつ、組織や仕組みを作らないことが、現場に権限を持たせず、経営だけが権限を持ち続ける統治機構なのかもしれません。つまり、経営者の下に現場がフラットに配置されているような組織では、経営者以外には実質的な権限を持つことができません。わかりやすいのは執行役員が会社の規模に比べて数多くいるケースです。執行役員などのタイトルが名誉職に過ぎず、実態としての権限を行使できていない可能性があります。
これは帝国主義の国家構造と同じです。帝国主義では皇帝だけが上にいて、残りの人間はその下にフラットに置かれます。このような国家構造では、皇帝だけが真に自由な人間であり、それ意外の人間は皇帝の所有物です。今のロシアをみても、プーチン以外に自由意思を持てる人間は誰もいないでしょう。
スタートアップでは創業メンバーが最大株主でもあるので、統治機構としては安定しているはずです。経営者は何も不安に思う必要はないのですが、会社が大きくなっても組織や仕組みを作らずに、自分たちが権限を持ち続けたいと思う創業者は少なくないと思います。彼らが、自由という名のもとに非効率な消耗戦を行うことが多いのは非常に残念なことです。会社の所有と、経営という執行の分離が出来ていないのです。
自由なカルチャーを掲げる。何か問題が発生する。原因分析をしない。次に犯人探しがはじまる。疑心暗鬼で雰囲気が悪くなる。そして退職者が増える。結局、組織も仕組みも作られない。現場には無力感が広まる。この負のループに陥ると抜け出すのは困難ですが、でも可能です。
真の自由を探すと、経営の覚悟と顧客に行き着く
この負のループから抜け出すには、経営者が責任をとるという姿勢が大事です。経営者が責任を取るのであれば犯人探しは不要です。犯人探しをせずに、経営者が陣頭に立って本質的な原因の分析に取り組むべきです。そして、原因を解決する対策を考えて、それを組織や仕組みとして現場に落とし込むべきです。結局、犯人探しが横行するというのは、経営が責任を取ろうとする姿勢がないということです。
もちろん、本当の意味で自由なカルチャーを持ち、上手くいっている会社もあります。こういった会社では、何か問題が起きても犯人探しではなく原因分析と対策を行います。現場が対策を提案すれば経営がそれを採用して仕組みとして実行します。新しい社内ルールが生まれたり、新しい組織が生まれることもあります。真の自由とは、自由に提案して改善できるということです。こういった会社では社内に目が向くよりも、社外にいる顧客に目を向けます。顧客第一を掲げて本当に実行しようとすることは、収益の改善だけでなく、社内カルチャーの正常化にも有効です。
コメント
コメント一覧 (1件)
執行していると、今までいい感じだった事でも、成果が出ていた方程式から外れた結果となることはあるかと思います。良い結果も悪い結果も。
なのに、冒頭にあるように原因の追求がなされず、経営層が成果にならなかった理由としてチームや担当者への疑い、
または担当者が自分の能力不足かもと、自信をなくすといった相互の解釈や気持ちから、徐々に信頼が薄れていき、
バラバラと壊れていくのです。そんな、風景を何度か目にしたり当事者な方も多いだろうと思います。
もちろん、上層部の方達も誰かを犯人したり、疑っている訳ではないのだとしても原因を知りたくて、
チームや担当者へのヒアリングなどを実施していることで犯人探しの輪は広がってしまいます。
今の会社の状態が良いか悪いかなんて、経営から遠かろうとわかるものです。
そんな中でスタッフも犯人だと疑われたくなかったり、自分が足を引っ張っている様に思われたくない。
自分が悪い風に思われるより貢献している様にきちんと伝えたいはずだからです。
私自身は会社の状態が良くなさそうな時に経営層などから
下記の様な質問をされると、誰が原因なのか調べているんじゃないかと気にしてしまう時もありました。
-仕事の雰囲気が良い、悪い
-仕事を楽しめている、楽しめていない
-どこのチームと上手くいっているのか、いっていないのか
-今やっている仕事を聞いて、お金の有無で対話だけが進んでしまう
上記の様な質問の中から
個人の尊重として聞いてくれている事もあるとは分かっていますが、犯人探しの様な意図が含まれていることは感じてしまいます。
違うメンバーから、雰囲気について聞かれることがあるのですが、同じような質問なので
きっと経営層に聞かれて、メンバーも正義感で調べているのだと感じ取れます。
このように成果への道筋を現場に委ねすぎている上に、
雰囲気から原因を追求するのは危険な行為だと思います。
どこへ努力したらいいのか彷徨うスタッフも増えるため、自分は悪くない主張へと加速してしまうのです。
もちろん上記の質問が悪い訳ではないです。
組織が30名~50名や、成果が上手くいっている時、人事やリーダーが聞いたり、
戦略はバッチリであとは相性であるなら力をつけて整えていくことも大事なことです。
ただ原因を追求するために上記の質問をしても、誰が悪いか悪くないかの思わぬ内向き的批判が大きくなるのです。
経営から組織の動きが見えていた時と見えなくなってきた時には
質問の仕方やヒアリング内容は慎重に考えなければなりません。
上記の記事を読んで改めて思いましたが組織の中で、こういう事が起きるというのは、
経営者の行動や発言の影響力は凄い事だなとも思いました。