課題を見つけたところにリーダーシップは生まれる。
今の時代、人材に最も求められる能力はリーダーシップだと思います。企業が現場主導ですばやく変革を起こし続けるには、全ての人材がリーダーシップを発揮することを求められています。リーダーシップを発揮することは、必ずしもリーダーといった役職についていなくても出来ます。また、リーダーシップを発揮するには、必ずしも人よりも優れた能力を持っていなければならない訳でもありません。
リーダーシップとはなにか。リーダーシップとは達成すべき目標を指し示し、その目標を達成するまでの課題を自ら解決していくことです。さらに、周りを巻き込みながら活動の輪を広げていきます。リーダーシップはチームがなくても、最初はひとりでも出来ます。周りを巻き込むことをリーダーシップだと思っていることもあるようですが、周りが巻き込まれるのは結果です。周りを巻き込むためには、まずは自分が一歩を踏み出す必要があります。その一歩を踏み出すことがリーダーシップです。
リーダーシップとマネジメントは別のものです。マネジメントは組織が必要な成果をあげることを目的とします。そのために、組織を作り、仕事の仕方を決めて、評価や育成などの制度を作ります。リーダーシップとは違って、マネジメントは組織がなければ存在しません。極端に言えば、リーダーシップがなくてもマネジメントは出来ます。
よく、リーダーシップを説明するために使う話があります。例えば、あなたが少し溜まった仕事を残業して片付けていたとします。他のみんなが帰ったオフィスにあなた一人がいるとします。そして、あなたも仕事が片付いたので帰ろうかと席を立ったら、オフィスの床にゴミが落ちているのに気がついたとします。オフィスにはあなた一人です。誰も見ていません。ゴミは放おって置けば明日には誰かが拾うかもしれません。でも、明日の朝は取引先の部長が来社する予定があったかなとも思い出しました。さあ、あなたはゴミを無視して立ち去るでしょうか。それとも、ゴミを拾って捨ててから帰るでしょうか。
やはり、リーダーシップがあるのであれば、床に落ちているゴミは拾うのではないでしょうか。誰もいないオフィスなので、上司が指示をしてくれる訳でもありませんし、ゴミを拾っても誰も褒めてはくれません、つまり、承認欲求を満たすことはできません。また、ゴミを拾うことに特別な能力は必要なく、誰でもその気になればゴミを拾うことは出来ます。つまり、能力不足を理由にできません。さらに、今ゴミを拾わなければ、朝のバタバタで誰も気が付かない可能性があります。つまり、自分がゴールキーパーのような最後の砦といった使命感が必要になります。この例では、ただゴミを拾うというだけですが(笑)
目の前に課題がある。その課題を解決するのは自分であると考えて、行動に移す。そこには承認欲求もなく、能力の有無も関係なく、自分が能動的に行動しなければという使命感だけがある。これがリーダーシップの本質です。所謂、ファーストペンギンです。
ファーストペンギンとは、ペンギンの群れで最初に海に飛び込むペンギンのことで、誰かが最初に飛び込むと群れの他のペンギンも一斉に飛び込み始めます。海にはシャチがいたりと危険もありますが、反面、餌をたくさん食べられます。人間心理も同様で誰かが先陣を切ると他の人も追従するものです。リーダーシップにおけるファーストペンギンとは、そういった群集心理を上手く活用したものと言えます。
リーダーシップを発揮できるかどうかも自己肯定感が根っこにあります。リーダーシップを発揮するには、一歩を踏み出す少しの勇気が必要になるからです。現状を変えることは少し怖いものです。良い方向に変えられると思うから勇気が出るのですが、良い方向になると自分を信じられることが必要です。自己肯定感の「自分が自分であって大丈夫」と感じられる気持ちが自分を信じることに繋がります。
自己肯定感は高ければ良いことだと言えるのか。低いことが必ずしも悪いのか
床に落ちているゴミを拾うぐらいであれば失敗することもないので何のリスクもないのですが、お客様からのクレームの対応であったり、上手くいっていないプロジェクトのリーダーを買って出るとなると失敗のリスクが気になるかもしれません。せっかく、課題を解決するためにリーダーシップを発揮しても、多少失敗したからといってリスクを負うのは辛いものがあります。リーダーシップを発揮しても個人がリスクを負わなくてもいいように、心理的安全性が必要です。
心理的安全性は作るものではなく、自ら育つように支援すること。
自分自身の自己肯定感と、環境が与えてくれる心理的安全性によって、リーダーシップを発揮できる条件が揃います。こうなると本当に強いです。課題があれば現場が自律的に解決していくので、マネジメントも殆どいらなくなります。リーダーシップを発揮できる条件が揃うと、課題があることが嫌なことではなく、課題があることがチャンスに見えてきます。自分から積極的に大きな課題を見つけ出しては、次々と解決していくのです。
究極は、自分から他人が取り組んでいる課題に自分から巻き込まれてみたりと、課題解決が楽しくて仕方がなくなります。逆に課題がなくなってしまうと寂しくなってしまうことも。
このように、リーダーシップは誰でもいつでもどこでも課題さえ見つけられれば発揮することが出来ます。まずは今すぐ、あなたの足元のゴミを拾ってみてはいかがでしょうか?
コメント
コメント一覧 (1件)
リーダー論やマネージメント論など沢山の情報や本などを
読んできた中でもとても心に刺さる内容でした。
もちろん、参考書などスキルとしては勉強になることや、学ぶことは多いのですが、
テクニックや技術だけではなく、心の中から溢れるものだと思います。
人へ向ける前に自分に向けたリーダーシップ論の軸となる大切なマインドだったりします。
もしかしたら、ゴミがあなたを見て問いているかもしれませんね。
いわゆる行儀ですね。私も特段お行儀が良いわけではないですが、
音を立てると相手に響くとか、機嫌が悪いと思われて心理的安全の妨げにならないか?
通路に物があると誰かがつまづくのではないかな?とか
100%出来る自信はなくても相手の気持ちになって気づき、
自分の行いを変えていけるのか?という問いのように思えました。
また、それが人の見る目を養うことにもなると思っています。
実際に承認欲求がある人とない人も、分かるようになってきます。
どちらが良い悪いということはここでは置いといて。
やっぱり、そこへの配慮ができる方はMTGの場や集まる中でも全体への配慮が違うことを
経験として感じてます。
それは全体に好かれようと媚びるのではなく、方向と課題を研ぎ澄まし見ることができる人として、
能力の違いがあれば手を差し伸べて付き合って勇気もある方です。
私も気づかないことや配慮ができないことがあります。
そんな時、いつも誰かに気づきをいただいているように思います。
以前に私のノートPC画面が汚れているのを見て、さっと拭いていただいた事があります。
私は毎日、この画面を見ていると汚れていた事にも気づかなくて、こんなに綺麗な画面だったんだと気づきました。
初めて私の画面を見た人では、温度感が違うかもしれませんが、課題の見え方がきっと違ったように思います。
拭いていただくことで、私は気づかされるのです。
仕事道具のPCですら汚れている事に気づかずにいたということ。
大袈裟に思うかもしれませんが、当たり前になりすぎていて、大切なものに気づかないケースと同じである事にも思いました。